2011年10月23日日曜日

ユリシーズの瞳(To Vlemma tou Odyssea) - Theodoros Angelopoulos (1995)

 1991年のスロベニア・クロアチア独立宣言に始まるユーゴスラビア紛争は衝撃でした。
 それまで「戦争」は知っていましたが「紛争」というものがどういうものか、実感として認識できていなかったのです。
 たとえば大阪が日本から独立を宣言したとして、隣の家に住む大阪出身の家族に、昨日まではにこやかに接していたのに一変して銃を向けるということがあるのでしょうか。ランチに出かけると、「東京のうどんは汁がドブみたいな色してるで」と言った大阪人がその場で射殺され、その報復にそば屋が襲撃されて店主が道に引きずり出されて暴行を受ける、なんていう光景を見ることがあるでしょうか。それに端を発して、商店街は銃撃戦の舞台になり、建物は破壊され多くの血が流される。そんなことが想像できますか。
 この映画の終盤に主人公は霧に覆われたサラエボの街を歩きます。霧の中で出会う人たちは、争いなんかどこでやっているの?という顔をして散歩を楽しんでいる様子。銃声も爆発の音も聞こえません。一組の家族が彼を追い抜いていきました。ところが、霧の中で一人になった彼が次に見たものは、みどりの草地の上に死体となって横たわるその家族の姿だったのです。おそらく、霧の中でセルビア人に出会って殺されたのでしょう。殺人事件ではなく、紛争(戦争)の結果として。その静かな死に、ユーゴスラビア紛争の中でも最も悲惨だったボスニア・ヘルツェゴビナのリアルを見た気がしました。
 たくさんの戦争映画やニュース映像を見てきましたが、この霧の中の死体以上に恐ろしく、悲しいものは記憶にありません。

0 件のコメント: